三宅島ってどんなとこ?


小金井市の友好都市である『三宅島』とは、どんな島? 少しご紹介します。


位置:東京から南南西180Km(北緯34.5度,東経139.29度)、伊豆諸島のほぼ中間に位置します。

大きさ:周囲は38.3Km、面積55.5Kuでほぼ円形。島の中央部に「雄山(標高775m)」があります。

気候:年間の平均気温は17〜18℃で雨が多い。都心の気温と比較すると冬で3℃高く、氷点下になることはほとんどありません。しかし、周囲を海に囲まれているため、夏はわりと涼しく、30℃を超える日は少ない。



特徴:こうした気候から、約230種類の野鳥を観察できるバードアイライドとしても有名。島の歴史を古く、数千年前からすでに人が住んでいたと言われており、島内のいたるところから、縄文時代の土器、石器等が数多く発見されています。








火山島:およそ3000年前に大規模な噴火が起こった形跡があり、それ以降、記録に残る1085年の噴火までの間に十数回の噴火があり、平均すると20年ごとに起こっていたようです。昭和期には、15年、37年、58年と噴火があり、平成12年から始まった噴火活動は、三宅島の名を世界に広めるきっかけにもなりました。島内では、たび重なる噴火の際に噴出した溶岩や火山灰などを、随所で見ることができます。



交通機関
船→東京竹芝桟橋から東海汽船が毎日1便運航。
飛行機→羽田からANA三宅島行きがあり
(1日1便)。




小金井小次郎:小次郎は多摩の大親分として十年近く過ごしてきましたが、たび重なる賭博罪で三宅島に島流しにされてしまいました。小金井小次郎が再び江戸へ戻ったのは十二年後、幕府が大政奉還した特赦によりますが、ただで赦免になった訳ではありません。流人の小次郎はここでも親分肌を発揮し、水不足に悩む三宅島で、子分にした流人たちを動員して、穴を掘り、海岸から運んだ石を積んで貯水槽を造りました。この貯水槽は、昭和40年ごろ村の簡易水道が完備するまで、島の人々を潤しました。


小金井との交流:幕末の侠客小金井小次郎が三宅村に残した歴史的なゆかりを共通の絆として、昭和44年に小金井市の花「サクラ」を三宅村に、昭和51年には三宅村の花「ガクアジサイ」の苗木を小金井市に、互いに贈り合いました。




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