つねにトップでいられるには・・・

会長 大澤国栄





太鼓の上手(じょうず)・下手(へた)は最終的に練習量だけではない。バチの握り方、そして体(正座状態)で上手くバランスを取りながら作り、ためた力を、バチを握った指で上手くコントロールしながら、山、谷の音を出す。

ほとんどの人が『音を大きく強く叩く時はバチを大きく上げる、小さく叩く時は小さく上げる』
しかし、この当たり前の考え方が良い音を作ることのできない一番の行い、そして考え方であると思う。とにかく指。強く叩くも弱く叩くも、指である! 一言で指といっても、その絶妙な感覚を身に付けるまでにかなりの時間と忍耐を要すると思う。

人に見せる、見られる、喜ばれると言うことは簡単なことではない! そして見ている人を馬鹿にするような技術は見せられないと言う気持ちを持つ! その気持ちを持つことが本当に人の心を打つ。

それが太鼓を叩く、囃すものがいつも心に思ってなくてはいけないことだと思う。
よく、CDを買って研究したい、演奏しているところをビデオで撮らせてほしい、という方々から、ここまでされると真似されるのではないかと嫌ではありませんか、と聞かれる。ただ、その心配はまったくない。お囃子経験35年の集大成(まだ途中ではあるが)でここまでの考え方、技術があるから、どんなにビデオを撮られて文句を真似されても、同じように叩けるものはいないという自信がある。真似は真似でしかない、気持ちがともなわない上っ面だけの真似では、私と同じように、さらにそれ以上にお囃子をできるものはいないだろう。

これを読んで、過信ではないかと思う人もいるかもしれない。でも、私達は全関東と東日本のコンクールのどちらでも優勝をとり、さらに東京都祭ばやしコンクールでは、第1回から最優秀賞をとり続けてきた。その賞歴に誇りをもち、いまの自信をつけてきた。

現在、貫井囃子保存会の会長として、この自分の技術を惜しみなくメンバー達に教えている。それはお囃子は一人でやるものではないからだ。私一人が最高の技術をもっていても、同じ考えの笛、メンバーがいなければ良いお囃子はできない。自分だけではなく、会自体がトップでいるには技術、気持ちどちらも私が教え、育てなければならない。全員が気持ちをともなった技術をもってもらいたいと思っている。








『教わってきた会員から・・・』
津田絵美子




平成13年のコンクール出場をきっかけに会長に太鼓を教わってきた。コンクールに出ることが決まった当時、ほとんど太鼓を叩いた経験がなく、「一応文句は知っている」程度だった。会長の目指す笛に合った山、谷のある太鼓、遠くまで通る良い音色なんて考えたこともなく、指で微妙にコントロールして叩くなんてことは、まったく知らなかった。ぎゅっと力を入れてバチを握って、大きい音を叩くときは大きくバチを振り上げ振り下ろす、小さく叩くときは力も入れずに弱く叩く・・・こんな叩き方を当然のようにやって、笛なんて聴いていないに等しかった。

この7年、指に瞬間的に力を入れ、バチの先端に意識を持ち、ひとバチひとバチを丁寧に大切に叩くことを、とても厳しく教わってきた。大きくバチを上げたからといって大きいしっかりとした良い音がでるわけではなく、小さく叩くからといって指の力を抜くだけではいけない、ということも理解できるようになった。

教わって2〜3年は、練習でほぼ毎回のように泣いていた。言われていることが分かるようで分からない、そんなモヤモヤした気持ちもあったし、分かっていることでも実際にできず悔し涙をたくさん(本当にたくさん)流してきた。強弱がない、良いリズムを分かっていない、笛に合わせて叩けていない、体が動いていない、かけ声がない・・・考えれば考えるほど、楽しい心地よいリズムとは遠くなり、表情も音色も暗くなり、「やる気あるのか?!」と怒られることもあった。そして、自分の手首や指、リズムばかりを考えて、気付かないうちに自分ひとりだけのお囃子になっていた。他の楽器を聴いているようで、まったく聴いていない。だから当然、他の楽器とからむなんてことも、一緒にのぼったり、落としたり、曲の流れを作ることなんて分かっていなかった。

そして何より、あれだけ言われていたのに、見ている人のことを考えられていなかった。これが、練習量のわりには技術が伸び悩んだ一番の原因かなと思う。その出演の良いリズムを決めるのは見ている人だし、音色を変えたりすべての演出は見ている人のためなのに・・・出演にでられるようになり、見ている人の反応をじかに感じるようになって、本当の意味でそのことに気付いた。いま、7年間で言われてきたことが、すべてできるわけではない。まだまだ注意されていることもあるし、新しい課題もどんどん増えている。叩き方の悪い癖も、ちゃんと直っていない。でも色んなことを教わり、考え方は変わったと思う。この癖があるから良い太鼓は叩けない、という考え方から、良いリズムで見ている人がノルにはこう叩かなきゃいけない、だからこの叩き方は直さなきゃいけないという視点に変わった。単純でそんなことと思われるかもしれないが、私のなかではこの意識の変化がとても大事なものとなった。

注意されてきたひとつひとつの点がつながって線になり、会長はあのとき、こういうことを言っていたのか!と今になって理解できるようにもなった。昔と考え方が変わった自分に、まだまだ自分は技術を向上させることができる!と可能性を感じて、今日も「見ている人が引きこまれるお囃子」を教わっている。